教員活動ブログ

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09 22

投稿者: admin
2019/09/22 14:18

9月1日にポーランドのポズナン(Poznan)で開催された、自転車ロードレースの事実上のアマチュア世界選手権とされる、UCI(国際自転車競技連合)グランフォンドワールドチャンピオンシップ(2019 UCI Gran Fondo World Championships in Poznan)。日本の予選大会で45~49歳カテゴリーの部で出場権を獲得していた家政福祉学科の岡本秀明准教授が、距離151kmのレースに日本選手のひとりとして出場し、30位(完走者185人;男45~49歳の部)、3時間36分43秒(平均時速41.53km/h)でゴールしました(「バイシクルクラブ」によるニュース記事)。


【写真】 朝のスタート地点確認時に2日前の試走で一緒になったベルギー女子選手と再会。彼女は、この後のレースで10位(女19~34歳の部)に入りました

家政福祉学科の岡本秀明准教授と岡本由希准教授はご夫婦共に、自転車ロードレースに参加して、好成績を収めています。今回のポズナンでのレースの様子に加えて、街や食の様子をレポートしてくださいました。

1.ワルシャワとポズナンについて(岡本由希准教授・岡本秀明准教授による報告)
ポーランドの首都ワルシャワでは飛行機の乗継のために空いた2~3時間を利用して、ポーランド人の日本語ガイドによる観光をすることができました。旧市街は、「ワルシャワ歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、一度は破壊されたものの戦争の傷跡も活用して忠実に復元されています。ワルシャワ王宮やカラフルな建物とワルシャワの伝説に登場する剣と盾を持った人魚像がある広場、バロック様式の砦「バルバカン」、キュリー夫人の生家を見学できました。その後、ショパン博物館に移動。音楽家ショパンについての詳しい説明を受けました。博物館の隣はショパン音楽大学で、美しいピアノの音色が聞こえていました。

 
【写真左】ワルシャワ王宮広場 【写真右】ワルシャワ人魚像

世界選手権の前日には、ポズナンでポーランド人の日本語ガイドによる説明を受けることができました。ポズナンはポーランド西部に位置し、ポーランドで第5の都市です。日本語ガイドの方は現地の大学の日本語学科の教員で、日本の大学や北海道などにも滞在していた方。流暢な日本語で詳しくポズナンについて説明してくれました。ポズナンがポーランド最初の首都として繁栄したこと、1956年にパンと自由を求めた労働者たちの暴動を記念した巨大なモニュメントのこと、正午になると料理されてしまうところを逃げだした2匹のヤギが出てきてゆっくりと動いて喧嘩をする仕掛け時計がある旧市庁舎、戦争後に修復され複数の建築様式が混在しているポズナン大聖堂など、著名な場所について詳しく見て、知ることができました。

 
【写真】ポズナンモニュメント 【写真右】ポズナン旧市街

 
【写真左】ポズナン旧市庁舎のヤギ 【写真右】ポズナン大聖堂

現地の大学教員でもある日本語ガイドの方は、日本語でポズナンのことを説明するときにはテンションがあがり、とても嬉しく、やりがいがあるとのことでした。彼女の日本語での活き活きした説明を1日中、聞き、人に楽しく教えるその姿を見て、自分たちの人生においても大きな刺激を受けることができました。

2.食について(岡本由希准教授による報告)
ワルシャワでは、旧市街のカフェでワルシャワ新名物の白いメレンゲを使ったケーキをいただきました。白いケーキが流行っているようです。例年にはない暑い日のようでしたので、アイスコーヒーを頼みましたが、出てきたのはドリップしたコーヒーに氷を入れたもの。アイスコーヒーはあまり飲むことがないのかな、と思いました。

 
【写真右】白いメレンゲケーキ 【写真右】ロガル

ポズナンでは、伝統的なポーランド料理を味わうことができました。家庭でもよく出されるというジュレックというスープ。ライ麦を発酵させた液体を使った酸味のあるスープで、ゆで卵やソーセージ、きのこなども入っています。和食でいうと豚汁のようなイメージかもしれません。またピエロギというゆでた餃子のような料理。中身は、きのこや肉、ジャガイモなどがあり、数種類を楽しむことができます。プラツキとよばれるじゃがいものパンケーキ、そしてポズナンが発祥とされる、クロワッサン型の菓子パン「ロガル」(ロガル・シフェントマルチンスキ)のミュージアムに行って、ロガルの歴史、作り方などの説明を受けることができました。特にポーランドの祝日、11月11日の「聖者マルチンの日」になるとポズナンでよく見かける伝統的な郷土菓子だそうです。

 
【写真左】ピエロギ 【写真右】プラツキ

ポーランドには茶の樹はないとのことで、皆さんは、ハーブティーやフルーツティーをよく飲むとのことでした。ポーランドはさまざまな農産物があり大変に豊かな国であることがわかり、ポーランド料理の数々も日本人になじみやすい食ばかりだと感じました。

3.世界選手権の様子について(岡本秀明准教授による報告)
UCIグランフォンド・ワールドシリーズ(各国大会:世界選手権への予選を兼ねている)とその最高峰の大会となる世界選手権は、その開催年にプロ選手でない者が出場できる大会です。しかし、元プロ選手や若い頃にプロをめざしていた者も出場してくるため、予選を通過した選手が集まる世界選手権は、強者ばかりの大会となります。

ポーランドのポズナンで開催された今年の世界選手権のコースは、151kmの平坦コースとなっています。いちばんの登り坂でも、標高差30メートルほどしかありません。そのため、レースは集団が、ばらけずに大集団で進み、集団落車が多発する可能性が考えられるので、かなり気をつけて走らなければいけないという緊張感がありました。まずは無事完走、そして「もし100位以内に入ることができれば」と思いながら、スタート地点に立ちました(昨年(2018年)イタリアのバレーゼで登りが多いコースで開催された世界選手権では155位でした)。


【写真】さまざまな年齢カテゴリーの日本選手たち。今年はおよそ50名が参戦

この時期にしては珍しく暑く、強い日差しがある中、朝9時より、若い年齢カテゴリーから7分おきにスタートし、私の「男45~49歳カテゴリー」もスタートしました。市街地の広い道を密集した大集団で高速走行し、サイクルメーターをみると、時速48㎞/hや51㎞/hと表示されていて、想像以上にスピードが出ていました。時速45~55km/hで進むなか、分離帯や、日本ではあまり見られないラウンドアバウト(ロータリーがある環状交差点)がときどき現れるので、気をつけなければなりません。


【写真上】スタート前の整列。まわりは身長190cm以上の屈強な選手ばかり
【写真左下】スタート前に岡本由希准教授のサポートを受ける
【写真右下】スタートゲート地点のスタート直前の様子

スタートから10㎞以上走り、田舎道に入ってしばらく行くと、最初の難所区間に入ります。古くなったアスファルトに細かい無数の細かいひび割れが広がり、所どころ穴もあいていてとても走りにくく、前半の勝負どころになると言われている悪路区間です。このような難所では、強い選手が他の選手をふるい落とそうとするので、大集団のスピードがあがります。悪路を高速走行するなか、身長190cm以上の外国人選手が多くて前方が見えにくいので、選手同士の隙間から路面を懸命に見て判断しながら、かつ集団の前方にも注視しながら、息を切らしての走行となります。悪路のため、パンクしてしまう選手も出てきます。

悪路区間が終わると、田園地帯を進み、右折左折を繰り返し、ときどき現れるラウンドアバウトや分離帯に気をつけながら、高速走行を続けます。右折左折の際には、集団が減速し、曲がりきった直後の立ち上がりで速度が急激にあがります。右折左折を繰り返すので、そのたびにダッシュをさせられることになり、脚が少しずつ疲労していきます。加えて、強めの南風が吹いており、横風を受ける区間では前を走っている選手が風よけになりにくく、風をからだに受けやすくなるため、疲労がたまっていきます。

村の中心部では、自動車を減速させるためのバンプ(かまぼこ状の路面が盛り上がった減速帯)が集団内で突然出現するので、これにも注意が必要です。一度、ラウンドアバウトに気をつけて通過したあと、ほっとしたところですぐにバンプが現れて前につんのめりそうになり、ヒヤッとしました。油断大敵です。

151kmのコースのなかに2か所ある補給地点の1カ所目(59km地点)に到達。ここで、自転車ロードレースでは一般的な、走行しながらの水補給(水入ボトルの受取)をしようと期待しますが、できませんでした。大会側が事前に説明していた通り、停止してテーブル上でペットボトルから自分のボトルに水を入れるという方法だけであることがわかりました。着順を争う先頭集団では、停止して水を入れることはありえないため、実際には水補給はほとんど無理であることが判明しました。ヨーロッパの主要国などは、プライベートな補給員たちがドリンク入りボトルを走行中の自国の選手に手渡しをしていました。私が手を伸ばしても、もらえることはありません。気温がさらにあがり、日差しも強く、どんどん暑くなってきました。自転車につけている2本のロングボトルのうち、1本はほとんど飲み干していたため、今後は飲む量をかなり減らさなければなりません。

 
【写真左】レース中盤の様子。高速走行と暑さにより大柄な選手たちも苦しそう
【写真右】レース中盤の様子。路肩が特に荒れているので要注意。日差しが強い

このあと、自分がいる100名程度の大集団の様子を把握しようと気をつけながら後ろを確認すると、選手がパラパラと数名しかいませんでした。気がつけば自分がほぼ最後尾に位置しており、ここまでに大集団がいつのまにか70名ほどに絞られていたのです。その後、「前には15名くらいの逃げの選手たちがいるようだ」と、日本選手が教えてくれました。高速走行をしているこのメイン集団の前に、さらに先行している選手たちがいるとは驚かされます。

後半になると、気温がさらにあがり、そして強い横風を受ける区間が増えてきました。横風区間では毎回「横風作戦」が展開されており、かなり苦しい走行を強いられます。横風作戦(エシュロンを組むとも言われる)とは、仲間以外には強い風を受けさせて疲労させ、集団の分断をもさせてしまおうというものです。そのために、意図的に道の風下側の端を高速走行するのです。進行方向の右側から強めの風が吹いており、集団は道の左端を1~2列の棒状で高速走行するため、前の選手による風よけ効果が極めて少なく、大変な思いをして走ることになります。右折して向かい風区間になると、恐怖の横風区間が終わりホッとするのですが、しばらくすると左折し、横風作戦の洗礼を受けることになります……。

ある横風区間では、横風作戦により集団が分断されてしまい、前の集団に追いつこうと頑張ります。しかし、横風が強いうえに道がガタガタで路面状況も悪く、二重の苦しみを受け、ついに力尽きてしまいます。「疲労して今は無理だ。あとで後ろの選手たちと追いつけるといいのだが」と思いながら。するとそのとき、聴覚障害者選手のチームDeaf JAPAN所属の早瀨選手が後ろから突如現れ、ジェスチャーで「俺の後ろについてこい!」と伝えてきて、私の前に出てきました。疲労困憊でしたが、ここが正念場であり、日本選手としても諦めてはいけないと、早瀨選手の後ろについて必死に追走しました。すると数分後、後ろにいた選手たちとともに集団に追いつくことができました。そして、右折して横風区間が終了し、事なきを得ました。早瀨選手は、水が入っていない私の透明なボトルを見たのか、背中に入れてあった水入りペットボトルを渡してくれて、まさに救世主となりました。

103km地点の2カ所目の補給地点でも、走行しながらの大会側による水補給がありませんでした。自前の補給要員を揃えている主要国の選手は、水やサコッシュ(補給飲料や補給食が入った布製の袋)を受け取ったりしていました。ある外国人選手たちは、受け取ったコーラを美味しそうにまわし飲みをしていました。私の2本のボトルの水はかなり減っており、ゴール前に飲むためにとってある少量の水が残っているだけとなりました。ある陽気なブラジル人選手は、まわりの選手に「飲み物をくれないか」と言って、さまざまな他国の選手から飲み物をもらっていました。私は我慢しながら走っておりましたが、その後、勇気をもって、同じ集団にいた林選手に「水が余っていたら少しもらえませんか?」と伝えると、快くボトルを渡してくれ、少し飲むことができました。

たまに現れる高速道路を越えるいくつかの陸橋の登りが脚にこたえますが、集団から千切れるほどではなさそうです。道幅が広い幹線道路を進行中の134km地点で、ついに私の10メートルほど前方の左側で集団落車が発生! 2人ほどの落車が連鎖して集団落車となり、広い道の8割が、10名ほどの転んだ選手でふさがってしまいました。その後ろの選手たちは急ブレーキをかけ、集団が前後に割れてしまいます。私も、追突されない程度の急ブレーキをかけ、集団落車をしている選手たちを止まりそうなスピードで右側からよけて前に進みます。巻き込まれはしませんでしたが、落車した選手たちよりも前を走っていた、早瀨選手や林選手を含むメイン集団が先に行ってしまっているのが見えます。ここは大きな分かれ目になると感じ、のども乾いて大変な中、まわりの5人ほどの選手たちと協力して数分間の必死の追走をし、メイン集団に追いつくことができました。

残り10㎞、5㎞と、ゴールが近づいてきます。ここまで何とか生き残ってきました。メイン集団の人数は40人ほどでしょうか(後に記録から44名の集団であったことが判明)。ゴール勝負に強そうな背の高い外国人選手ばかりです。ゴールが近づき、位置取り合戦がはじまり、集団の密集度が高まります。下見の時に「ここを通過したらゴールまで全力で行こう」と決めていた残り500mほどの最後の大きな交差点を通過します。集団の後方に追いやられていた私は、早めにスピードをあげた選手たちに迷わずついて行き、スピードをさらにあげます。そうすると、まわりの選手をじわじわと20人ほど抜いて集団の前方にあがることができました。そのまま全力のゴールスプリント(ゴール前最後の全力ダッシュ)をし続けて順位をあげ、すべての力を出し切りながらゴール直前でさらに2名の外国人選手を抜いて、集団内の5番手でゴールすることができました。

「もしかしたら、10番台に入っていないだろうか!?」と淡い期待を抱きましたが、そこは世界選手権なので甘くはありません。私のいたメイン集団の前に、20数名の速い強者選手たちがおり、順位は30位でした。しかし、昨年よりも100番以上順位があがり、世界で30番目に入ることができ、私にとっては好成績となりました。


【写真左】ゴール直後の様子。メイン集団でゴールまで一緒にたどり着いた林選手(左)とDeaf JAPANの早瀨選手(右)
【写真右上と右下】日の丸も映し出された表彰台に乗る日本人選手(上:男19~34歳の部3位の紺野選手、下:男40~44歳の部3位の高岡選手)

今回の世界選手権への参加により、さまざまなこと経験し、学ぶことができました。自転車競技に真剣に取り組んでいるさまざまな選手と知り合えたこと、短い周回コースが多い日本では経験できない本場の「横風作戦」の厳しさを味わえたこと、苦しくてたまらなくてもあきらめずに前を追い続けて集団復帰できた小さな成功体験、本気で優勝を狙いに来ていた日本人2名が表彰台にしっかり乗っている姿を表彰式で目の当たりにしたことなどがあり、とても貴重な機会となりました。

岡本秀明准教授が自転車競技の魅力を伝えるインタビュー記事はこちらから

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