132025年は「戦後80年」、昭和元年から数えて「昭和100年」という節目の年となる。既に新聞・雑誌、テレビやインターネット等のメディアでは特集が組まれ、連載記事等を目にすることも多い。80年や100年といった月日は、「人生100年時代」とも評されるようになった今日においては、人ひとりの人生の時間の長さとしても捉えることができる。この80年や100年といった時間の中で生じた様々な出来事について、私たちは、私たちのこれまでの「歴史」をどのように位置づけることができるのだろうか。ジェンダーの視点から振り返ってみると、戦前から戦後にかけての一つの大きな変化は、主権が国民にあることを前提とした民主主義国家となり、1946年に公布された日本国憲法に男女平等や教育を受ける権利が明記されたことや1947年に制定された教育基本法(旧教育基本法)において、男女共学が明文化され、これらを基盤に学校教育が展開されるようになったことがあげられる。また、初めて女性の参政権が認められたことも大きな変化の一つであったといえよう。当時の資料を見てみると、戦後、「婦人」が参政権を得ることは「たもの」1)とされるのは間違いであると、明治からの女性の自由と開放のためにのろしをあげた人々の闘争の記録について述べる羽仁説子等の言説を確認することができる。羽仁説子は、参政権を獲得した今だからこそ、明るい政治が生まれ出るために女性が政治に参加する必要があると同資料で主張している。当時の女性社会運動家の「熱」を感じる文章であるといえよう。さて、日本社会で女性が参政権を得てからおよそ80年後の2024年に発表されたジェンダー・ギャップ指数は、日本が146カ国中118位の位置にあり、世界のなかでも未だ後進国であることを再認識する残念な結果となった。世界へ目を向けてみても、列国議会同盟(IPU)が世界185カ国の国会議員のなかで女性が占める割合は2025年1月1日時点で27.2%であり、「男女平等はいまだ遠い夢」2)であると発表した。男女平等の理想は日本だけでなく世界的な課題であり続けている。ジェンダーやダイバーシティという言葉は、昨今よく耳にする言葉になったものの、現実の社会課題を解決しないままに新たな課題が増え、もともとあった課題の本質もぼやけているように感じることもある。女性に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念とする女性差別撤条約(CEDAW)に関しても、2025年となって早々、同委員会に対する日本政府の対応が話題となった。日本政府は2024年ぼたもち、天から降つた意外のおくりなから、、、、Short Article2戦後80年と昭和100年になる年に
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