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日本文学文化学科

01 17

投稿者: nihonbungaku
2017/01/17 18:01

古典文学を原作とする漫画は、いわば古典注釈(古典の文章を分かり易く解説すること)の現代的なスタイルと言えます。この授業では、大和和紀『あさきゆめみし』、杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。』などの日本の古典文学を翻案(新しい形式や目的に合うように作品を作り変えること)した漫画作品を取り上げ、もととなった資料や原文と比較しながら、漫画と原典の表現上の違いや、それが生まれる理由等について考えます。担当教員は、木村尚志助教


【写真】資料をプロジェクターで投影して解説を行う、担当教員の木村先生

第11回の授業で取り上げたのは、百人一首の恋歌に込められた思いや数々の恋ドラマをコミックとして表現した『超訳百人一首 うた恋い。』の「和歌物語 四」から、紫式部とその幼馴染とのやり取りについて。原典である百人一首には、57番目の和歌として収められています。
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
大意は、「せっかく会うことができたのに、確かにあなただったかどうか確認する間もなく立ち去ってしまった。まるで雲に隠れた夜半の月のように」。コミックでは、各々の結婚を期に離ればなれとなった幼馴染が地方から戻ってきたと聞き、喜んで会いに来た紫式部に気付きながらも立ち去ってしまった友人に、「会いたいと思っていたのはわたしだけで、友達はそうではなかったのか?」と思い悩むシーンが描かれています。

【写真左】紫式部について様々な角度で分析。授業に耳を傾ける学生たち。
【写真右】教室には正面のメインモニターと、左右にもサブモニターが設置されています。
 
原典である和歌は、紫式部が晩年になってまとめた歌集『紫式部集』の冒頭に収められており、本人にとっても、大切にしている歌だったものと考えられます。コミックの中で紫式部の幼馴染として登場する「藤子」は、腕っ節に自信のある少し男勝りな女の子。木村先生は、豪放磊落な人物だったがこの時すでに亡くなっていた紫式部の夫の宣孝が、「うた恋い。」の藤子の性格のモデルではないかと推察しています。
 

また先生は授業の中で『紫式部集』を読み、紫式部は「妹タイプ」と分析。そこで紫式部の家族構成を確認し、都を離れて越前(現在の福井県)に父親と滞在していた時期に詠まれた和歌を資料として参照して、生まれてすぐに母を失い、さらに姉が亡くなった後、同じ頃に妹を亡くした友達を姉と呼び、相手は紫式部を妹と呼んだことや、夫宣孝も親ほどの年齢だったことから、年上の人に憧れを抱いていたのでは、と、紫式部の背景や人となりを探りました。

【写真左】能「融」を謡う木村先生。木村先生は大学生のときに、能のサークルに所属していたそうです。
前回の授業では、紫式部による「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルの一人と言われている、源融(みなもとの とおる)についての資料として、世阿弥作の能「融」を説明するプリントが配付されました。今回の授業で木村先生は扇を取り出して、追善(ついぜん)の「融」を学生たちに披露。追善曲とは、亡き人を偲ぶ内容の曲をいいます。謡は、

「この光陰に誘われて月の都に入り給ふよそほひ あら名残惜しの面影や名残惜しの面影」
という詞章で締めくくられました。


【写真左】授業で配布されているプリント。写真は「うた恋い。」のもの。
 
人物の心情について考えるために、登場する作品や歌を読むだけでなく、その人物の背景について、人間関係や置かれた立場、今日とは違う当時の価値観などにまで踏み込んで考察することによって、古典をより立体的で身近な物語として愉しむことができます。

この授業は共通科目なので、所属学類に関係なく、日本文学に触れたいという学生であれば、誰でも受講することができます。


木村先生からのコメント 
時代の型を破るのはいつの時代も女性だったのではないでしょうか。平安時代の習慣とタブーに束縛されながら、『源氏物語』のような世界文学を書いた紫式部は型破りな人であったに違いありません。集団に埋没せず、個人として言葉を発信したからこそ世界文学を生み出せたと言えましょう。『源氏物語』の約80年後に編まれた勅撰集『後拾遺和歌集』には紫式部の時代の女性歌人の歌が非常に多く入集しています。型破りな個性を持った女性はこれに続く院政期にも現れ、中世に繫がる文学の潮流を生み出していったのです。


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